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稲荷台の由来

地名の由来は江戸時代にさかのぼります。新堀玄番というさむらいが日暮里山と呼んだ小高い丘に屋敷(一説には出城といわれる)を構え、稲荷社を祀りました。それで、後の人々が稲荷台と呼ぶようになったと言います。それ故、明治二二年町村制以降昭和七年まで板橋町の小字稲荷台として残っていましたが、板橋区が成立して板橋七丁目となり、昭和三五年五月に地番整理により再び小字東原を含めて稲荷台になりました。江戸時代の末に建てられ、新堀稲荷社といわれた小さな社殿は、明治四〇年に日暮里山から双葉町の氷川神社に移されました。

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稲荷台遺跡

板橋区立加賀小学校(旧稲荷台小学校)周辺の稲荷台遺跡は、戦前に縄文早期(約八千年前)の土器が発見され、杉並区の井草遺跡や横須賀市の夏島貝塚とともに縄文最古級の土器として注目された。
現在は井草➡夏島➡稲荷台の順とされているが、縄文早期土器の標式遺跡の一つとなっている。

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